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片道24時間の秘島!東京都小笠原村には何がある?

執筆者の写真: うらのりょうたうらのりょうた


入港出港のお祭り騒ぎにウミガメを食べる文化。


12年かけて日本の全1718市町村を巡りましたが、1番難易度の高かったまちの1つが小笠原村です。


今回は「小笠原アンバサダー」でもある私が小笠原村の魅力に迫ります。


東洋のガラパゴス、小笠原村(おがさわらむら)。東京都心から約1000㌔、グアムやサイパンに行くより遠い秘境で、2011年に世界自然遺産に登録されました。


小笠原諸島に空港はなく、交通手段は船のみです。ほぼ週1便の定期船「おがさわら丸」は東京都港区の竹芝桟橋から出航。所要時間は片道24時間、船での2泊も含めると強制的に5泊6日の長旅となります。


船代は1番安い2等和室を選んでも往復5万円。島での宿泊費、食費、アクティビティやお土産のことまで考えると予算が10万円を下ることはありません。キャンプや野宿は禁止。小笠原海運が販売している乗船券と宿泊代がセットになった「おがまるパック」なら少しお得です。


私もおがまるパックの予約に挑戦しました。2カ月前の午前10時から電話で販売されますが、即完売でキャンセル待ち状態になることもしばしば。私は30分かけ続けてようやくつながりました。履歴を見るとその回数160回。コンサートの予約くらい難しいです。電話はつながったものの、既に2等寝台は完売、港が近く便利な大村地区の宿も満室。やむなくワンクラス上の席と、港から離れた扇浦地区の宿を予約しました。この時点で既に12万円を散財。


数日後、小笠原海運から郵便物が届きました。中を開けるとチケットやパンフレットがてんこもり。まるで、進研ゼミの初回特典のようです。数えると全部で11点。旅へのワクワク感が高まります。


迎えた出航日。都心は春というにはまだ早い寒さ。コートやジャケットは必須で、マフラーを巻いた人やポケットに手を突っ込んだ人々が無表情で行き交っています。


竹芝桟橋から船に乗り込むと、多くの人が乗っていてビックリ。まるで1つのまちのようです。それもそのはず、「おがさわら丸」は離島航路最大規模を誇る客船で、定員は894人。


デッキに上がると港区のビル群が見えます。大都会から大航海に旅立つのは不思議な感覚。港ではたくさんの人が手を振って船を見送っています。家族、友だち、カップル、船員、港の人、赤の他人まで。気温1桁にも関わらず興奮のあまり上半身裸の人もいました。


午前11時。24時間の船旅が始まりました。充実した船内。自販機、シャワールーム、給湯器、レストラン、売店、なんでもあります。しかも何カ所も。まるで豪華客船です。船上で「退屈するなあ」と思っていたのは間違いでした。出港後すぐ、3時間にもわたる東京湾クルーズが始まります。レインボーブリッジ 、大井埠頭、海ほたる、みなとみらい、富津岬、鋸山、州の崎。小笠原村観光に東京湾クルーズまでついてきて、思いがけず得した気分になります。


黒潮を横断する航海は揺れに揺れます。 12時頃になると、船が揺れ始め、船客が「平衡感覚おかしい!」、「傾いてるよね?」と騒ぎ出しました。14時20分、伊豆大島に最接近。東京湾を出ると揺れが一層強くなり、船が軋み始めます。廊下をまっすぐ歩けなくなり、階段は手すりにつかまらないと上り下りできず、皆よろけていました。春先や、梅雨前線から外れることが多い梅雨は比較的穏やかですが、心配な方は酔い止めの準備を。


私も気分が少し悪くなってきたので部屋に戻り休みます。角部屋が嬉しい。特2等寝台は寝返りできないほどの広さで天井は低いですが、秘密基地のようで楽しいですし、カーテン付きでプライベートも守られています。


出航直後は一人前に「楽しい東京湾クルーズ」なんて言っていましたが、昼下がりにもなると退屈な時間が訪れました。こんなとき、念のために持参していた小説やガイドブックが役立ちます。テレビもついており、地上波は東京湾内のみですが、BSは湾外でも映りますし(夜間は消える)、船内放送で映画も放映されていました。スマホは圏外。スナック菓子を食べながら本を読んで、時々船外に出ては海を眺めて。波の音、エンジンの音、船が軋む音。穏やかに時間が過ぎていきます。ただただ活字と大海原に向き合う時間。家族は何をしているんだろう。会社はどうなっているだろう。内地で何か起きていないだろうか。そんなことを考えても知るよしもありません。


「大切な物資を運んでくれてありがとう」、「小笠原の大動脈」、「おが丸がいなければ生活が成り立たない」。エントランスには島民からおがさわら丸への感謝のメッセージが誇らしげに掲げられていました。


航海2日目。目覚めると5時35分で、カーテンの外から薄オレンジの明かりが漏れていました。そういえば、今日の日の出は5時44分。慌てて着替えて部屋を出ると、廊下にちらほら人が歩いていました。「みんな朝早いなあ」と呑気なことを考えながらデッキに出るとビックリ、既に20人ほどが日の出を待ち構えていました。デッキに上がるとその人数は膨れ上がり、100人近くに。天気はあいにくの曇りでしたが、紅く染まる雲に期待感は高まります。スマホをいじりながら、時にシャッターを構える学生たちも部屋に帰ろうとはしません。太陽が人間に与える力の大きさを感じます。スマホにイニシャルなのか、「み」の文字を映して写真撮影する姿も。6時12分。ついに雲の合間から太陽が顔を出し、デッキは温かい歓声に包まれました。3分もしないうちに多くの人が部屋に戻ります。人はただ、神々しい日の出の瞬間を拝みたいだけなのです。


小笠原村・父島の二見港に入港すると、少年たちが服を着たまま歓迎のダイビング。警察まで出動する大イベントです。もちろん胸には「警視庁」の文字。


小笠原村は海の色が違います。「ボニンブルー」と言われる深い青色。元々父島は「無人島(ぶじんじま)」と読ばれていましたが、欧米人が「ボニン」と発音したことが由来だそうです。


船を降りると、むさ苦しいコートやジャケットは脱ぎ捨てTシャツ姿に。一年を通して温暖で、真夏でも32度を超えることはほとんどないため、日差しは強いものの東京都心と比べると過ごしやすいです。


港に宿の方が迎えに来てくれていました。「まちを案内しましょうか」。島の風景に馴染んだシルバーの軽バンがまちのメインストリートを駆け抜けます。「がじゅまるの木が生えているのはハンバーガー屋さん。左に生協、右にスーパーがあります。ここは農協。…こんなもんです」。案内はものの5分で終了し、思わず拍子抜けしました。フェリーでの長旅の影響で、まだ体が揺れています。


来島1日目は島の生活環境を知るべく、小笠原観光のバスツアーに参加。


まちには子どもの姿が多く、その数は小中合わせて約220人に上ります。1学年あたり約20人で、離島としてはかなり立派。3〜5人兄弟は当たり前で、小笠原村に過疎化や高齢化の波はまだ到達していません。高校もありますが、卒業後に内地で働く希望者はこのタイミングで島を離れるそうです。


高齢者が少ない最大の理由は医療の問題。診療所が1軒あるのみで、ガンなどの大病を患うと島に住むことができません。「老後はゆっくり島暮らし」なんて気持ちで移住すると後悔する羽目に。緊急を要する場合はまず救急車で自衛隊基地に運ばれます。そこからヘリで2時間かけて空港がある硫黄島へ。硫黄島からはジェット機で羽田空港などへ搬送されます。病院に到着するまで合計10時間ほどかかるので、ケガや体調には十分注意して下さい。


物価の高さも特徴です。家は本土から建築資材を運ぶ上に、平地が少ないため難工事で、建築費は3倍。家賃ももちろん3倍で、山手線の内側と同じくらいだそう。唯一、都営住宅は家賃が3万円ほどと格安で、人気があるため毎年抽選が行われています。


クルマの維持も大変。部品の調達の難しさなどから、何の問題もない軽自動車1台を車検に通すだけでも18万円は下らないそう。ガソリンはここ10年200円固定で続いており、原油価格高騰が続けば250円固定の可能性もあるとか。潮の影響でサビにも悩まされます。ちなみに、ナンバープレートは「品川ナンバー」


買い物は来島1日目の夕方がオススメ。物資が1番充実しているからで、スーパーの棚からは日に日に商品がなくなっていきます。郵便物は離島扱いではなく東京都内扱いで、東京都心への送料が安いことがポイント。


戦時中は島ごと要塞化しており、その爪痕が各所に残っています。旅人を魅了する大自然のせいで、小笠原村は相当な長い歴史を持っているのだろうと思い込んでいましたが、人類史でいうとそれほどではありません。小笠原村の歴史が始まったのは1830年。欧米諸国の人々が20名ほど定住したのがはじまり。1876年に主張が認められて日本の領土に。戦後は米国の統治下に置かれ、1968年に返還されるまで「空白の23年」もありました。戦後、日本人が住み始めてまだ半世紀しか経っていません。


「大神山(おおかみやま)神社」の展望台からの景色は1番好きな景色の1つ。人類史の浅さから、島内に寺社仏閣はほとんどありません。地縁血縁などのしがらみもないことから、島民は現代的で都会的な感覚も持ち合わせており、新しいものを受け入れる姿勢があるそうです。


独自の食文化の中で最も驚かされるのが「ウミガメ」。「かわいそうだ」、「食べてもいいものなのか」。最初はそう思いました。罪悪感すら感じました。でも、食べていいもの、いけないものは人が勝手に線引きしているだけ。海洋島に住む人にとってウミガメは重要なタンパク源。


大切なのは感謝の気持ちだと気付かされます。久々に心から「いただきます」と言えた気がしました。大人になって、いつの間にか「いただきます」をないがしろにしていたかもしれません。島民はウミガメに感謝を持って甲羅以外は内蔵も含めて無駄なく食べます。


私は「丸丈」さんで"新ガメ"の刺身を、宿泊した「ロックウェルズ」さんでカメの煮込みを食べました。刺身は全くクセがなく、馬刺しに近い印象です。とにかく美味しい。海を泳ぐから魚のイメージでしたが、やはり肉。コリコリしていて食べ応えがあります。煮込みはクセが強く、調味料は塩のみでも深い味わい。緑色なのは、ウミガメの脂が緑色だからです。好みは間違いなく別れますが、酒やご飯のお供にピッタリ。


小笠原村ではウミガメの保護にも力を入れています。獲れるのは年間135頭と制限され、漁師は3人のみ。交尾中は海に浮かぶので、そこをモリで襲います。まず、メスを捕まえておとりに。すると、オスが2、3匹寄ってくるので捕獲。最後にメスも捕獲します。小笠原村はあくまで産卵地で、生まれた子ガメは海流に乗り1年かけて1000㌔離れた日本列島近海を放浪。30年を経て、卵を産むために再び小笠原に戻ってきます。ウミガメやクジラなど生き物が長い旅を経てやってくる島。人間も同じです。


小笠原村は日本におけるコーヒー発祥の地。コーヒーベルト(北緯南緯25度)のやや北に位置しており、日本で栽培できるのはほかに鹿児島県、沖縄県の一部のみです。緯度が高く、標高が低いため、「ボニンコーヒー」はそれほど質が高くない割に、希少価値の高さから値段は高いそう。


塩やパッションフルーツも特産品で、お土産にピッタリです。


2〜4月はザトウクジラが小笠原近海に来遊します。ザトウクジラは数分置きに呼吸をするので運が良ければたくさん見ることができますが、マッコウクジラは1度の呼吸で2時間ほど水中に潜るためめったに見ることができません。小笠原村に訪れたら「ホエールウォッチング」はマストです。


小笠原諸島やガラパゴス諸島、ハワイなど、他の大陸と1度も地続きになったことのない海洋島に生き物がたどり着くには3つのWしかありません。Wing(羽)、Wave(波)、Wind(風)。島にたどり着いたエリートたちは独自の進化を遂げ、植物の50%、カタツムリの94%が固有種です。とはいえ、生命力が強いわけではありません。島には天敵がいないため、のんびりとした気性になりやすく、外敵が侵入してしまうとたちまち絶滅の危機に瀕します。


天然記念物で絶滅危惧種のアカガシラカラスバトは人間が持ち込んだネコによって食い荒らされ、一時は40羽まで減少しました。


小笠原村の生態系については「小笠原ビジターセンター」で、海の生き物については「小笠原海洋センター」で、ウミガメについては「小笠原水産センター」で詳しく知ることができます。特に、小笠原海洋センターでの「アカバの歯磨き体験(無料)」、小笠原水産センターでの「カメの餌やり(100円〜)」はオススメ。


小笠原村観光で必ず訪れたいのが南島。島自体が国の天然記念物に指定されており、1日の上陸可能人数はわずか100人に限られています。美しい海を肌で感じられるシュノーケリング、ダイビングも是非。私も本土に帰る前日に「それだけは行った方が良い」と言われ参加しました。


最後に、小笠原村で出会った方々に感謝です。


素朴でも温かみがあって、とにかくご飯が美味しかった、砂浜まで0分、小笠原で最も海に近い宿「ロックウェルズ」のお父さん。


私と同じ兵庫県出身で優しくしていただき、ビールやカメの煮込みまでごちそうになった宿で生活をともにしたご夫婦。


船上で出会い、島で一緒にご飯を食べた男の子。


星空を眺め、気付けば一緒に朝を迎えていた女の子。


港で盛大に見送ってくれた島民の方々。


島に残る者、島を出る者。抱きしめ合い、熱い握手を交わし、涙を流す人、人、人。小笠原太鼓のパフォーマンス、海に惜別のダイビングをする若者たち、おがさわら丸を名残惜しそうに追いかける無数の船、おがさわら丸を猛スピードで追い抜きながら手を振る海上保安庁の船。感動の波が押し寄せてきます。


6日間で撮影した写真は700枚を超えました。帰りも行きと同じ船室だったことに小躍りします。今回の旅で「台風逸れろ!」と思わないようになりました。逸れたら小笠原村に直撃してしまうからです。いかに人に思いやりのない発言をしてしまっていたのか。自分のことばかり考えていたことが恥ずかしいです。


帰りの船旅は行きの24時間よりも短く感じました。ラウンジでアイスコーヒーを購入し、デッキに上がると横浜のまちが見えました。海は青色というよりも緑色でよどんでいます。無意識にクジラの影を探しますが、もうここにクジラはいません。帰ってきたのです。東京都心の最高気温は25度で小笠原の24度よりも高いですが、小笠原ほど日差しは強くありません。アイスコーヒーを飲み終え、船を降りるとまた都会での生活がスタートします。東京への印象はこの6日間で大きく変わりました。東京のことが今までよりずっと好きになりました。


【参考文献】

小笠原が救った鳥

地球の歩き方 島旅08 小笠原

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「私のまちは何もないよ」

自己紹介でよく聞くセリフです。
大学時代、この言葉に違和感を覚えたことを

きっかけに12年かけて日本を踏破。

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